去る6月19,20日の2日間、富山県の大島町絵本館で、第2回絵本学会大会が開催された。
1997年春に発足以来3年目を迎えた絵本学会は、絵本における表現と受容に関する様々な問題を、従来の狭い学問領域から抜け出て多面的総合的に考えていこうとするもので、会員の構成も、研究者のほかに、絵本作家、編集者、図書館司書、美術館や文学館の学芸員、家庭文庫の主宰者、保母、教諭、父親・母親、絵本愛好家などきわめてバラエティーに富んでおり、従来の学会とは大いに性格を異にしている。
その活動は、絵本に関心のあるものなら誰でも気楽に集まって自由に語り合える「絵本フォーラム」と、地道な研究発表や多彩な分科会が開かれる「研究大会」を柱にしている。
今大会は“絵本のある町づくり”を目指しておられる大島町の全面的な協力の下、全国から2日間でのべ500人を越える方々の参加を得て、活発な論議が行われた。
「絵本の絵」は視覚言語―対話生を重視
今回のテーマは、「もっと自由にもっと豊かに」。
初日には、昨年91歳で亡くなった美術家ブルーノ・ムナーリへのオマージュとして、パネルディスカッションが開かれ、ムナーリ芸術の本質が語られた。
続いて、子どものための造形ワークショップ「木をつくろう」が行われた。
これは紙をYの字の形に切り抜いたものを組み合わせて“木”を作り、思い思いに葉っぱを描いて貼りつける行為の中から、子どもたちが自然の生命の法則性に気づきながら創造体験を楽しむというもので、85年に東京・青山で開催された「大ムナーリ展」に際し作家自身が遺(のこ)していったプランの1つである。
いま、ムナーリの芸術を語ることには重要な意味がある。
1907年イタリア生まれのムナーリは、初期の紙と糸で作られて回転運動をする「役に立たない機械」シリーズをはじめ、抽象絵画、彫刻、グラフィックデザイン、玩具、ブックデザイン、コピーアート、造形ワークショップなど、きわめて多彩かつ先駆的な美術家として世界的に知られている。
絵本の世界においても、柔軟な発想で素材や表現の要素を駆使して斬新な仕事を遺したのだが、しかし日本においては「きりのなかのサーカス」「トントン」「太陽をかこう」など数種の作品(現在はほとんどが絶版)によって知られるのみで、その知名度は決して高いものではなかった。
昨年の彼の死去を報じた新聞が一紙もなかったのは大変残念なことだった。
読み手に独自の物語喚起
このことは、日本ではムナーリの絵本以外の仕事がごく僅(わず)かしか紹介されていないことにもよるが、日本人一般の造形美術に対する認識不足と、絵本に対する視野の狭さに、主な理由があることは間違いない。
とくに現代アートは本来、子どもには直観的に受け容(い)れられるものであるはずなのに、おとながわからないのだから子どもに分かるはずが無いという偏った乱暴な認識が、(肝心の児童教育の世界に)現在もなお根強くある。
さらに絵本を語り、分析し、評論する場においても、絵本の絵を単に物語を説明する手段としてのみとらえ、そこに盛り込まれた作家の美意識や表現意図を深く読み取る作業が、長い間無視されてきた。
本来の視覚言語としての意味に気づかない者が少なくないのだ。
ところがムナーリの作品では、この視覚言語による対話性こそが重視されているのである。
例えば「読めない本」シリーズは、まったく文字が無く、布や紙等の素材や色の組み合わせ、切り抜いた形などによって、読み手自身に独自の物語を喚起させる画期的なもので、美術的な視点でとらえない限りこの作品を理解することは難しい。
ムナーリは常に造形の本質を見据えながら、「一般市民がより容易に美術に接近できること・子どもにアートの原理を伝えること」を目指して、多方面に自らの造形活動を展開した。
彼が日本に遺したワークショップのプログラムは、きわめて貴重な遺産だったと言えよう。
最近日本でもようやく「インタラクティブアート」(作者と鑑賞者の双方向からの対話的美術)という概念が唱えられ始めた。
絵本はまさにその概念に適応するメディアなのだが、「作品との身体的関わり」を他に先んじて構想し、自ら実践したムナーリの仕事を、私たちはいま正しく評価しなければならない時に来ていると思う。
1999年7月19日 信濃毎日新聞より
(著者了解済)